GlycoStation誕生秘話(7)

GlycoStation誕生秘話(7)

2007年にモリテックスからGlycoStationを上市以来、年間平均5回の海外出張で世界中に販促活動を行っていました。1回出張に行くと2週間以上、1ヵ月近くは帰ってこない、そんな感じでした。GPバイオサイエンスになってからも同様なペースで海外のマーケット開拓の活動を維持していました。GlycoStation誕生秘話(7)は、趣を変えて、写真集で海外販促活動の一端をお伝えしたいと思います。

(グライコミクス研時代に作成した販促用のビデオです)

ProcogniaにGSR1200を設置する
高畠の右側は、Procognia社長のAlon Natanson、左は技術のTOP(名前忘れました)、地中海に沈む夕日を眺めつつ懇親会(2009年8月)

BioPolice(シンガポールのワン・ノースに位置する国際的なバイオメディカル分野の研究開発拠点)にあるNovartis(熱帯病研究、ウイルスと糖鎖関連)を訪問(2009年9月)

エジンバラ大学のProf. Peter Andrewsを梅澤先生とともに訪問、Peter Andrewsは幹細胞マーカー(Tra-1-60やSSEA-4など)の世界的権威であり、再生医療分野への参入のきっかけ作りに幹細胞の糖鎖プロファイリング研究を推奨(2009年9月)

その後、フランクフルトにあるDRK赤十字(輸血と糖鎖)を訪問、BaselにあるNovartis(癌治療)を訪問(2009年9月)

韓国代理店(InSung Chroma-Tech)のYoon社長のお力を得るべくソウルへ(2010年5月)

香港大学医学部を訪問、インフルエンザ・ウイルス研究にて糖鎖アレイの要望を受ける(2010年5月)

San Fransicoで開催されたBio2010では展示会に合わせてナパバレー・ワイナリートレインツアーを企画し、山田がツアーコンダクターを務める(2010年6月)

そのまま欧州へ飛んでKarolinska研究所内の創薬ベンチャーを訪問、UCL癌センターを訪問(2010年6月)

インドのバラナシ―ヒンズー大学を浅島先生のかばん持ちで訪問、学会の併設展示を行う、ガンジス川で沐浴し、将来のインド進出を祈願(2010年10月)

Milanoで開催されたBioEuro2011に北海道グループからブース展示、右から3人目はイーベックの土井社長でその左隣に山田がいる(2011年3月)

Philadelphiaで開催されたBio2011にブース展示(2011年6月)

Bio2011で知り合ったGoda & Assciatesの合田社長とNIH, FDAを訪問、GlycoStationの技術説明を行う(2012年10月)
そしてその翌年、2013年10月に、GSR1200がFDAに設置される

しかし、GPバイオサイエンスは、設立後わずか3年5カ月(2012年7月末)で事業停止状態に陥り、2013年3月末には破産申請を北海道地方裁判所に提出することになりました。
GPバイオサイエンスの軌跡については、既に別のページに概略がアップされているので、そのリンクを参照ください

この続きは「GlycoStation誕生秘話(8)」にて・・・・、
またまた新たな苦悩が始まりました、避けたかった二度目の会社倒産

Mx

糖鎖プロファイリング技術のパイオニア 環境再生型農業の実現

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