GPバイオサイエンスと産総研の間に隙間風が吹いてきた。この感じは、徐々に現実味を帯びてきます。GPバイオサイエンスの代表である高畠が産総研の先生方にご挨拶出来ない日々が続いていました。これには理由がない訳ではないので「だよね!」としか言いようがありません。前回までのGlycoStation誕生秘話をお読みになっている人にはお分かりになるはずです。
モリテックスがショットに買収されて、グライコミクス研究所がスピンアウトしてGPバイオサイエンスを起業した時に、日本レーザー電子以来のパートナーであった奥村は、GPバイオサイエンスには参加せず、モリテックスを退職して、隆祥産業に就職していました。隆祥産業とは、今のレグザムのことであり、2010年に社名を隆祥産業からレグザムに変更しています。その隆祥産業に、何と産総研の平林研でモリテックスとともにレクチンアレイを開発した内山氏が転籍していたのです。こんな奇遇ってそうそうあるものではありません。背後に筋書きがあることを自分は瞬時に感じ取りました。穿った見方かも知れませんが、恐らく産総研はイスラエルとつながった小さなベンチャーGPバイオサイエンスに不安を感じ、せっかく開発した糖鎖プロファイラーとレクチンアレイが無くなってしまうリスクを恐れて、安心できるセカンドベンダーを育てようと考えたのだと思います。隆祥産業は、香川県高松市にあります。そして香川大には希少糖やガレクチンの研究で著名な研究者もいました。「匂う匂う、見えない糸が・・・繋がっている?」自分はそう思いました。
GPバイオサイエンスでは、GSR1200は高性能でとても良いのですが、2000万円を超える定価というのがお客様の懐に優しくはなく、普及版を開発しないと行けない、と当時考えていました。こうなったら、その普及機をレグザムと共同開発してはどうか?「物事がこんがらがる前に何とかしないと不味い」そう思った自分は奥村と連絡を取り合い、ふたりは意気投合してGPバイオサイエンスとレグザムの接点作りを開始します。2010年10月には、GPバイオサイエンスとレグザムの技術交流会がレグザム本社にて開催されました。GPバイオサイエンスからの出席者は、山田と坂下です。坂下氏は、元ソニーグループに居た技術者であり、金子がGPバイオサイエンスに転籍しなかったことから、ハードの担当としてGPバイオサイエンスで新たに雇用した技術者でした。そして、2011年5月には、GSR1200の普及機の共同開発に向けて秘密保持契約を締結することに成功します。後に坂下はうつ病を発症し、脱落していくことになります。
次世代機というか、普及機の仕様は、両社で作り上げました。簡単に言うならば、解像度を犠牲にしてスキャン速度を速め、ステージや励起光源を簡略化し、部品点数を減らして、小型化と低価格化を同時に実現するというものです。完成した普及機の名前が、「Bio-REX Scan 200」です。これはレグザムから販売される糖鎖プロファイラーの名称であり、GPバイオサイエンスから販売されるそれには「GlycoLite 2100」という名称がつけられました。名称と外観はそれぞれに異なるのですが、実は中身は全く同じです。GPバイオサイエンスからは、このGlycoLite 2100を定価=850万円で売り出すことにしました。名前と外観こそ違えどスペックが同じということでは、レグザム機とGPバイオサイエンス機が市場で完全にバッティングしてしまうことが目に見えています。レグザムの事業の基本はOEMです。ダイキンのエアコンのように、中身はレグザムでもブランドはダイキン、そういう戦略を糖鎖プロファイラーに対してもレグザムが取れれば何も問題がなかったと思います。しかし、レグザムは自社ブランドでこの商品を販売するという主張を頑なに曲げませんでした。糖鎖のマーケットサイズを良く知る山田と奥村は、こんなことで喧嘩しても始まらない、両機の定価を合わせ、営業テリトリーを棲み分けるなどの手段を駆使すれば、最良な関係ではないけれどもWin-Winの関係を作れるに違いないと話をしていました。そして山田と奥村は、機が熟したところで、レグザム副社長と高畠社長がレグザム本社で会する契約書の調印式を設定しました。
シャンシャンと手拍子で終わるはずだったその日、高畠が唐突に怒り出して調印式は決裂、レグザム副社長は憤慨して、山田と高畠はレグザムから追い出される羽目になりました。レグザムでは、来社されたお客様にレグザム製のさぬきビールをお土産に、関係者全員が玄関に並んでお客様をお見送りするというのが恒例なのですが、奥村曰く、「土産もなく、お見送りもなく、追い出されたのはこれが初めて」という「レグザム始まって以来の珍事」でした。「やべ~~、帰りのタクシーの中では、自分も高畠も無言でした、話をする気もありませんでした」
「あ~~、終わったな~~、そう思いました」
高畠が何を恐れて調印式をぶち壊したのか?今となっては知る由もありません。自分と高畠の間には正直言って確執がありました。特許戦争から始まった喧嘩相手の関係です。男と女じゃあるまいし、喧嘩で始まった男同士が打ち解けるはずもありません。高畠は見栄っ張りで他人の意見を聞きません、これに正論でぶち当たる自分が彼に受け入れられるはずもありません。実例を上げるとピンと来るかもしれません。山田がレグザムと高松で会議するときには、高畠は女性の「かばん持ち」を必ずつけるのです。このかばん持ちが何をするか?自分が会社に出張報告する内容が「一字一句間違いがなかったか」をそのかばん持ちに裏で報告させるのです。
「こんな嫌がらせあります?」「かばん持ちが山田を見る目が心苦しそうでした」
「自分が守りたかったのは高畠のGPバイオサイエンスではなく、自分達が作り上げたGlycoStationという技術体系とお客様と、そして苦楽を共にしたグライコミクス研の仲間だったのです。」

(GPバイオサイエンスブランドのGlycoLite 2100、しかし実は中身はレグザムブランドのBio-REX Scan 200とまったく同じです)
しかし、自分は技術屋としてBio-REX Scan 200(GlycoLite 2100)を手放しで良くできましたと褒めていたわけではありません。GSR1200をハイエンド機とすれば、その半額以下の価格で普及機だから「しゃあないか?それにしても・・・・」という感じで見ていました。GlycoLite 2100があるからGSR1200は用済みだ、とはならないと考えていたということです。GlycoLite 2100のどこが駄目だったのか?具体的な例をお見せしましょう。下図において、左側がGSR1200の面内輝度分布であり、5%以内に綺麗に制御されています。それに対してGlycoLite 2100(Bio-REX San 200)のそれは右側ですが、何と面内の斑が40%を超えているのです。これが何を意味するか?信号強度の小さなレクチンは全く信用できません。そしてその原因は光学系の設計に問題があること、Backgroundの補正ソフトがまったく不完全であることを意味しています。

(GSR1200とBio-REX Scan 200のBackgroundの斑には雲泥の差がある)
この続きは「GlycoStation誕生秘話(7)」にて・・・・、
海外販促の様子をお見せできればと思います・・・・
(余談:山田は後に、坂下の後継技術者となる山根とともに、GlycoSuperLiete(GSL)を開発します。本機は定価が385万円と圧倒的な低価格を実現できており、しかも世界最速の糖鎖プロファイラーとなります)
