アーカイブ: 2025年2月15日

GlycoStation誕生秘話(3)

GlycoStationがいよいよ2007年9月にモリテックスより上市されました。営業活動の開始です。モリテックスにおけるバイオ事業関連の営業TOPは、塙部長でした。日本レーザー電子から移籍した営業部隊(奥村、江崎)も塙部長配下の竜野部長グループに配属されていました。糖鎖やレクチン関連の類似商品はそもそもマーケットに存在しておらず、モリテックスの営業マンも糖鎖プロファイラーやレクチンアレイの技術とその応用については無知ですし、完全にゼロからの販路開拓となりました。

研究所だからと「研究開発に没頭していれば良い」というだけの環境とは全く異なります。まずは、研究者自らが、技術や製品の特長を説明しつつ、マーケットを開拓していかねばならない状況であることをグライコミクス研の研究者全員が理解する必要がありました。販売目標も、一次案は研究所が作り、納得性を持って営業部に理解してもらい、共に動く必要があるのです。いや営業さんに動いて頂くのです。自分は、そもそも20年近くも半導体の世界にいたので、バイオ系、ましてや糖鎖とレクチンに関しては、SGプロジェクト繋がりを除けば全くコネクションはありませんでした。しかし、SGプロジェクトはNEDOが牽引する大きなナショナルプロジェクトですし、参加者(大学、企業)も多いので、まずはこのメンバーとその協力組織も潜在的な顧客に成り得ました。これは大きなプロジェクトに参画することのメリットです。

SGプロジェクト外のマーケットを切り開いていくには、営業効率を高めるためにも考えられるマーケットを想定して予め潜在顧客層を絞り込む必要があります。3つの領域に焦点を合わせました。ひとつはバイオマーカー探索、もうひとつはバイオ医薬品の糖鎖修飾、そして最後は再生医療です。日本の糖鎖とレクチンの世界には不思議な派閥関係が存在していました。下手に動くと、競合するグループから締め出しを食らってしまうリスクがあります。そこで、まずは産総研とも良好な関係を保っていて、糖鎖バイオマーカー研究では第一人者である阪大医学部の谷口先生に相談を持ち掛けました。彼は快く二人の先生を紹介して下さり、彼らといっしょに動いてみてはどうか?と指導してくださいました。一人は、同じく阪大医学部におられる三善先生、もう一人は岡山大医学部におられる和田先生でした。もう一つのルートは、自分が仕掛けたモリテックスとGeneticLabの事業協力関係から、GeneticLabの顧客ルートを共有させてもらうことでした。このルートからは、北海道情報大におられる中林先生とのつながりを起点にしました。三善先生は、潰瘍性大腸炎やクローン病のバイオマーカー探索、和田先生は尿からの糖尿病性腎症のバイオマーカー探索、中林先生は肝がんのバイオマーカーに着目されていました。

GlycoStationを世界のデファクトスタンダードにすべく、国内の営業開拓と同時に海外の営業開拓にも取り掛かりました。国内ですら知り合いが少ない中、海外の糖鎖やレクチンの研究者は全く知らない状態でしたので、Glycobiologyの国際会議の出席者リストや米国CFGのメンバーリストを突破口として、GlycoStationとLecChipに関する技術情報をメールで一名一名に配信しました。BCC配信で大勢に一気に送るなんて言うやり方はしませんでした。送り先の研究者のお名前を一人一人きちんと記載し、1対1の関係を作ろうとしたのです。反響はすぐに現れました。Scripps研究所、Burnham研究所、Stanford大学、Emory大学、Johns Hopkins大学、Harvard大学、NCI、NHI、Cambridge大学、UCL、そしてAcademia Sinica。中でも真っ先に返事を下さったのは、ScrippsとBurnhmanであり、かの有名なJames Paulson先生や、Hudson Freeze先生だったのです。「かの有名な」と言う修飾子をPaulson先生に付けましたが、実は当時は彼が何者かをも全く理解しておらず、返事をくれたやさしい研究者と言うだけの思い込みで突貫しました。
Paulson先生も「なんだか変だな」と思ったのでしょう。
「ひょっとして君、自分の事知らない?」って聞かれてしましました(笑)。
知らない事ほど強いことはありません。自分の返事を下さった先生方はことごとくこの分野ではbig nameだったようでして、もしそれを知っていたら、尻込みしちゃっていたかもしれません。

GSR1200の定価は、2,100万円に設定されていました。そしてLecChipの定価は45,000円でした。まだ世の中に存在しないこんな高価な装置をすんなり買ってくれるようなお金持ちはまずいません。そこで、販促開始当時は、消耗品であるLecChipを数十枚購入してもらうことを前提に、GSR1200を一定期間貸し出しする、そして、気に入ったら予算申請をして是非購入をお願い致します、是非論文の執筆もお長い致します、というスタイルを取りました。営業を海外展開するに際して、モリテックスの米国拠点と英国拠点の皆様には大いに助けて頂きました。米国については、モリテックスの米国営業をサポートしていたChris Dalton氏が積極的に加わって下さり、デモや展示会では大変お世話になりました。また、森田社長は、欧州がことのほかお気に入りということもあり、英国内の販促では一緒にCambridgeに行ったり、ドイツのWismarにあるモリテックスの所有地を一緒に見学し、
「どう、ここにバイオの欧州拠点を作らないか?」って夢のある話をして頂いたり、協力先になるであろうFraunhofer instituteを二人で訪問したりもしました。自分も欧州の販促はとても好きです。電車に乗って移動するのが旅情を誘って良いですよね。食堂車でワインを飲みながら、流れゆく景色を眺めていると、とても幸せな気分になるのです。


(森田社長とドイツへ)

(Wismarにあったモリテックスの所有地を森田社長と訪問)

営業活動は、メールのみでなく、実際に欧米での展示会にもモリテックスのブースを出しました。2007年には、Bostonで開催されたGlycobiology2007のSummit GlycoResearchのブースに相乗りさせてもらい、San Diegoで開催されたBio2008、Philadelphiaで開催されたISSCR2008、Barcelonaで開催されたISSCR2009などには単独でブース展示をしました。特に、Bio2008では、糖鎖関連事業の大きなイベントとしてJetro主催の糖鎖工学セッションが併設されたこともあり、平林先生、梅澤先生、住友ベークライトの藤原部長(現住友ベークライト社長)や大久保氏と共にプレゼンをさせて頂く機会を得ました。住友ベークライトとの関係がこれを機会に急速に深まっていきました。


(Glycobiology 2007: Summit GlycoResearch (SGR)のブースに相乗り)

(BIO2008: 平林先生と齋藤)

(ISSCR2008: Chrisが応援に駆け付け)

このようにして、グライコミクス研究所が営業においても前面に立ってGlycoStationのマーケット開拓を全世界で進めていきました。富士通から転職後、日本レーザー電子の倒産という悲哀をなめた自分でしたが、眼前に新天地が広がったような高揚感を覚え、働いていることが楽しくてしょうがない時期が来ていました。


(La Jollaにて、Burnham Instituteでの大きな仕事の後、米国西海岸を楽しむ藤田、山田、そして金子)

この続きは「GlycoStation誕生秘話(4)」にて・・・・、
しかし、GlycoStationの全世界での拡販が思わぬトラブルを招きます。
そしてモリテックスにも思いもかけぬ問題が起ころうとしていました。

GlycoStation誕生秘話(2)

日本レーザー電子が倒産し、破産管財人からバイオテクノロジー関連事業を買収したモリテックスには、合計7名の社員が移籍しました。米田(元)社長は、モリテックスの顧問となりました。移籍したのは、技術陣は山田以下4名、営業は奥村以下2名です。移籍した場所は、モリテックスの横浜テクニカルセンター、そして最寄り駅は田園都市線の江田駅です。横浜テクニカルセンター(岩本センター長)には、横浜事業所(名倉所長)とナノ・バイオサイエンス研究所(所長は岩本センター長が兼務)、そしてシステム開発部(川田部長)がありました。
移籍した自分たちのミッションは、買収した日本レーザー電子のバイオテクノロジー関連事業をモリテックスという場に落とし込むことであり、このミッション遂行の為に、NLEプロジェクトというプロジェクト名が付けられました。自分は、モリテックスに赴任すると横浜テクニカルセンターの副センター長に任命されたのですが、主たる仕事としてNLEプロジェクトのリーダーに任命され、3ヶ月以内に事業移管を完了することと言う社長命を受けました。主な内容は、DNAチップ事業、SPR事業、そしてエリプソメーター事業の事業移管であります。NLEプロジェクトの中には、SCAN IIIという技術資産はあったものの、糖鎖プロファイラーはまだこの世に存在しておらず、具体的な移管の対象ではなかったのです。というのも、糖鎖プロファイラーは開発中の技術であり、NEDOの糖鎖構造解析技術開発プロジェクトの目玉のひとつだったのです。

DNAチップ事業のひとまずの目標は、日本レーザー電子が共同研究していた名大農学部との2,397遺伝子を搭載するシアノバクテリアcDNAマイクロアレイの完成でした。その為、日本レーザー電子を退職し東京医科歯科大の法医学教室に移籍していた島田氏の協力を取り付けて実行に移しました。後に、彼はモリテックスに転職することになります。東京医科歯科大の法医学教室教授からは、島田を横取りしたと随分なお叱りを受けました。SPR事業では、NanoSensor, SPR-670M, SPR-MACSという3機種をモリテックスから新製品として販売を開始し、エリプソメーターは、液晶配向制御用の検査機として日本レーザー電子から移籍した田ノ岡氏を主担当としてシステム開発部の協力を得ることになりました。日本レーザー電子では、横浜への転居に尻込みする従業員も多かったため、技術移管に協力してくれる技術者が不足し、モリテックスの皆様には大変ご迷惑をおかけしながらも、期限内に本ミッションを完遂することができました。

事ここに至って、「日本レーザー電子というベンチャー企業の最期をこの手で見取り、事業移管という形でその技術資産をモリテックスに残せた」という大役を果たせた脱力感が一気に自分に襲い掛かりました。当時、とある半導体系の事業会社から、2000万円の年収でヘッドハンティングを受けていたこともあり、小谷専務に恐る恐る「モリテックスを退職したい」旨を伝えました。当時の年収を思い出すほどに、現在に至るまで日本人の年収が如何に停滞していたか、憤りを感じます。小谷専務が「自分に全幅の信頼を置いていてくれていることを深く感じていた」ので、その時は本当にモリテックスに対して申し訳ない気持ちで一杯でした。しかし、小谷専務に「モリテックスの将来のバイオ関連事業を君に任せるつもりなんだ、今居なくなられると非常に困る」と強く説得され、折茂副社長にも接待付きで口説かれ、森田社長からもラブコールを受け、役員総出で遺留されたため、とうとう自分も折れてしまいました。見返りを手にしたことも自分を納得させる理由のひとつだったかもしれません。理事に昇格させてもらうことで経営陣に名を連ね、岩本取締役の後を継いでナノ・バイオサイエンス研究所長に就任し、そして何よりも大きいのは、日本レーザー電子時代に銀行からの借り入れに社長と共に連名で裏書をしていたことで発生した借金の返済をボーナスの上乗せで帳消しにしてもらったことです。社長は自己破産してしまったので、連名者の自分に負債が降って来てしまったという訳です。1000万円程度の負債で自己破産するなんてばかばかしいですし、かといって、返済するにはそこそこ痛い額な訳です。とにかく、そうと心が決まれば、モリテックスのバイオ関連事業の為に身を粉にして働くのみです。そして、これを持って半導体への未練はきっぱりと捨て去ることにしました。

NEDOの糖鎖構造解析技術開発プロジェクト(通称、SGプロジェクト)は、産総研・糖鎖工学研究センター長の地神先生、副センター長の成松先生をリーダーとし、2003年4月から3年間の予定でスタートしていました。このSGプロジェクトに自分達が参画できたのは、2002年暮れに産総研の平林先生が日本レーザー電子に来社されたことがきっかけです。当初は日本レーザー電子がSGプロジェクトのメンバー企業でした。自分とScan IIIの担当だった高島氏が日本レーザー電子からメンバーとして参加していました。自分達の直接的な共同研究者となったのは、産総研の平林先生のグループであり、久野先生や内山氏には本当にお世話になりました。2004年春には、日本レーザー電子が倒産してしまったこともあり、この事業をモリテックスが継承することとなります。糖鎖プロファイラーの主担当には、モリテックスから新たに堀尾氏が指名され、バイオ組合の槙野様のご協力を得て、三井化学に席を置く江部氏にモリテックスのメンバーとして産総研に出向してもらうになりました。本来なら、高島氏にモリテックスに移籍してもらってこの事業を継承してもらいたかったのですが、どうしても岐阜からは転居できないとのことで、止む無く堀尾氏に一肌脱いでもらうことになった訳です。糖鎖プロファイラーが完成出来たのは、ナノ・バイオサイエンス研究所単独の力ではなく、横浜事業所の面々の積極的な支援があったことを感謝せずにはいられません。

産総研での開発成果のモリテックスへの技術転移に際しては、日本レーザー電子から移設した設備だけでは足りず、2006年にはレクチンアレイ製造用として選定したMicrosys4000の購入や設置するクリーンルームの新設など総額3000万円を超える追加設備投資を稟議で行いました。SGプロジェクトが発足した当初は、糖鎖プロファイラーとレクチンアレイの開発に対する我々が割ける人的リソースは上記したように最低限でしたが、2005年に小川氏(Ph.D.)が新卒で合流、2006年には藤田氏と壷内氏(ともに女性)が新卒で合流、武石氏(Ph.D.)が中途採用で合流し、藤田氏(女性)と武石氏を技術移管の為に3か月の技術研修に産総研に派遣しました。2007年には、更に横田氏(女性)と金子氏(Ph.D.)が合流し、事業化に向けての陣容が出来上がって行きました。そして、2007年4月には、横浜テクニカルセンター内にグライコミクス研究所が新設され、山田を含め9名での船出となりました。内5名が博士号を持ち、所員の半数以上が全員新卒という若々しい力にあふれた研究所陣容でのスタートでした(山田、齋藤、金子、阿部、武石、小川、鶴山、藤田、横田の9名)。


(LecChip完成祝い、2007年6月28日:山田、武石、小川、藤田、横田)

山田は研究所長として総責任者、齋藤と金子は糖鎖プロファイラー担当、阿部はペプチド合成機担当、武石、小川、藤田、横田はウェット担当、鶴山はペプチド合成の担当でした。レクチンアレイの製造とその品質管理については、小川、藤田、横田の3名が主担当であり、武石は阪大医学部、岡山大医学部、北海道情報大らとのバイオマーカー探索らの共同研究が主担当でありました。武石は、過去に富士通における自分の部下だったのですが、かなり個性が強く、富士通研究所に在籍しながら阪大理学部でPh.D.を取得し、故あって富士通を退職後、モリテックスでバイオ事業をけん引していた山田を頼って合流してきたのです。小川は、多方面に渡って能力を発揮し、レクチンアレイの製造と品質管理のみならず、NEDO先導プロジェクトにおいて、比較糖鎖プロファイリング解析の基本ソフトであるGlycoStation ToolsProの開発も担当しました。産総研で開発をスタートした当初は、汎用のマイクロアレイ用解析ソフトArrayPro Analyzerでスポットの輝度を数値化し、内山氏が作成したエクセルのマクロを用いて比較糖鎖プロファイリング解析を行っていたのですが、ユーザーフレンドリーな解析環境を自前で作り上げたという訳です。齋藤は、NECからのモリテックスへの出向者であり、NEDOのSGプロジェクトの後継プロジェクトで、エンリッチメントデバイスの開発にも従事してもらいました。レクチンアレイと糖鎖プロファイラーの開発で最も苦労した点は、レクチンアレイの製造安定性の確保(スポット形状、飛び散り、バックグラウンドの斑)と品質保証(検品用のプローブの開発、出荷基準の策定、消費期限の確認)、そしてそれらのドキュメント化作業でした。2006年春から産総研からの技術移管作業を開始し、2年間はこれらの業務に忙殺されたと言っても過言ではありません。レクチンアレイと受託解析の立上げでは、「藤田と横田がいなくてはレクチンアレイの製造は困難」と思われるほど彼女らは力を発揮してくれました。特に藤田の残してくれた数多くの詳細なドキュメントは、その後の技術伝承でなくてはならない資産となりましたし、横田の正確な手技が無ければ、あれだけの品質を安定して出すことは出来なかったかもしれません。

この続きは「GlycoStation誕生秘話(3)」にて・・・・、
いよいよ糖鎖プロファイラー(GSR1200)とレクチンアレイ(LecChip)が上市され、営業活動が始まります。

GlycoStation誕生秘話(1)

GlycoStationとは、レクチンマイクロアレイとエバネッセント波蛍光励起法を用いたスキャナーを組み合わせて比較糖鎖プロファイリング解析を行う糖鎖解析のプラットフォーム技術の登録商標であります。この名称自体は、本ブログ著者(山田雅雄)が、モリテックス・横浜テクニカルセンターのグライコミクス研究所に在籍していた時代に名付けられたものです。そして、レクチンマイクロアレイにはLecChipという商標を獲得し、エバネッセント波蛍光励起法を用いたスキャナーには、GlycoStation Reader 1200(略して、GSR1200)という商品名が付けられました。また、GSR1200については、糖鎖の比較構造解析を非破壊で高精度に行えるという特徴を強調すべく、「糖鎖プロファイラー」という技術名称が冠されました。この技術は、バイオテクノロジーの中では数少ない国産技術として一世を風靡し、GSRは延べ40台以上が製造販売され、日本だけでなく、米国、欧州、東アジアにおいて広く使用されているのです。

この「GlycoStationの誕生秘話」をMxブログ記事として記録しておこうと思い立ちました。

その第一話は、2002年にまで遡り、当時名古屋にあったベンチャー企業である日本レーザー電子(NLE)から話はスタートします。日本レーザー電子は、最盛期には、30名を超える従業員が在籍し、売上高も5億円を超える事業規模を持っていましたが、残念なことに、起業してから約20年後の2004年に経営破綻を迎えてしまいました。日本レーザー電子の社長であった米田勝實氏は、元名城大学理工学部電気工学科の助教授であり、レーザー計測技術を専門としていました。彼が大学を退職し、日本レーザー電子を起業した時の事業内容は、もちろんレーザー計測技術の社会実装です。会社の成長と共に事業分野が拡大され、ナノテク関連製品を加え、更にはバイオテクノロジー関連にも事業分野を広げて行きました。ナノテク関連商品として最も有名なものはオスミュウム(Os)・コーターでしょう。これは電子顕微鏡用のサンプルを真空中でOsを薄くコーティングすることにより、サンプルのチャージアップを防ぎ、高精度に高倍率の電子顕微鏡画像が得られるようにするサンプル前処理装置です。またLB膜(ラングミュア-ブロシェット膜)製造装置も研究開発分野で評判を得ていました。LB膜はご存知のように水面上に展開した単分子膜を基板上に移しとって積層した分子膜であり、当時は半導体にしても超格子構造がいくつか実用化されており、機能分子を積層することで新しい分子デバイスを作り上げようという機運が高かった時期でもありました。そうそう、UVオゾンクリーナーもありました。DNAマイクロアレイの分野では、半導体の製造技術を真似たAffymetrixのGeneChipが2000年当時、すでに世界で圧倒的な強さを発揮していました。DNAマイクロアレイの事業分野の急速な拡大を目にして、日本レーザー電子は日本でいち早くDNAマイクロアレイ事業に参入し、2002年には、すでに5400種類を超えるマウスのcDNAをスポッティングしたDNAマイクロアレイを実用化していました。DNAマイクロアレイの製造には独自の先割れピンを用いたスポッターを自社開発し、大型のStampIIやラボ向けのStampmanというスポッターも自社開発し、マイクロアレイを読み取るためのレーザースキャン型の共焦点スキャナー(Scan II)らも商品に加えていました。バイオテクノロジー分野では、SPR分野にも積極的に進出し、国内ではBiacoreに続く二位のマーケットシェアを獲得していました。

自分が日本レーザー電子に参画したのは、2002年夏のことです。当時の日本レーザー電子は、本社を熱田区に置いていました。本社の入り口を入ると、右側に営業部(営業部長は、奥村秀行氏)があり、左手の鉄製の階段を上って右上(駐車場の上なのだが)に社長室が、左側には会議室や経理部がありました。入り口からの通路は奥深くまで長く長く伸びており、右側にはバイオテック用のクリーンルームやスキャナー開発用の暗室、最深部には理化学機器製造の部屋があり、その二階が技術開発部の居室となっていました。日本レーザー電子には、自分は開発部長として着任しました。前職(富士通株式会社)に比べると環境が全く異なりますし、現場を率いてきた社員たちの個性や能力をつかみ、この部隊をどうまとめ上げていくのがベストかを直感できるようになるまでには少々時間がかかりました。自分は富士通の部長をしていたので、皆さんもそれなりに敬意を払っては下さるのですが、何せよそ者ですし、違和感満載でした(笑)。バイオテクノロジー関連では、中国の医師免許を持つドクター(島田亮氏)や京大農学部卒のドクターもおり、機器開発には優れたノウハウを有する技術者も数名在籍しており、名大工学部卒のドクター(高島成剛氏)もいました。総じて高い技術力を持つ集団であり、正真正銘、新規開拓に挑戦的に挑むベンチャーという印象です。

入社ほどなくして、自分は取締役に昇進し、毎月の経営会議に顔を出す立場となりました。それから1年後には副社長になっていました。転職前に米田社長から聞いていた話とは裏腹に、経営状態は悲惨でした。経営会議は会議というのは名ばかりで正に喧嘩状態、「生きるか死ぬか」という瞬間が今ここにあることを実感します。
「これ売れなかったら、来月給料ないよ」机をたたく音と怒号が響き渡る会議です。
入社してから知ったのですが、日本レーザー電子は自分が入社した時点ですでに債務超過に陥っていたのです。
経理部長からは、
「山田さん、入社前に米田社長から聞いてなかったの?」と言われて返す言葉もありません。
社長から名古屋の料亭でヘッドハンティングを受けて、美しい言葉だけを聞かされて、疑わなかった自分が甘かったのだ、そう思いました。しかし、当時の富士通の半導体事業も迷路に入ってしまっていましたから、どの道、自分は新天地を求めようとしていたのです。

日々の仕事は、取締役兼開発部長として、米田社長のご子息(米田英克氏)と協力して、cDNAマイクロアレイ、多チャンネル型のSPR装置(12ch-SPR)、エバネッセント波蛍光励起型スキャナー(SCAN III)らの開発をリードしつつ、経営者として、最後は副社長として、会社の立て直しのための事業プラン作成と資金調達に奔走していました。新たな事業計画を作ってのVCや銀行からの資金調達、大手企業との事業提携、更には事業売却を組み合わせた生き残り戦略の実践です。米田社長と二人で東京、関西、名古屋を飛び回る日々が続きました。いろいろ差し障りがありそうなので、何処とどういう交渉を行ってきたのかは流石にここではカットしておきたいと思います。とにかく債務超過という現実は、非常に厳しいです。
「すごい、面白い技術ですね、マジ凄いです」
「しかし、この負債の大きさは厳しいですね」
「少し考えさせてください」・・・・・・、そしてすべての交渉がぶっ飛んで行きました。

しかし、何故、日本レーザー電子が債務超過に陥ったのでしょうか?それには幾つかの原因があります。一つは、タンパク質アレイの失敗、cDNAマイクロアレイの伸び悩み、SPRのピークアウト、そしてJSTのA-STEPの失敗でしょう。言い換えれば、多額の開発費を掛けたにも関わらず売れる新製品が生まれず、既存の売上も低迷し、キャッシュアウトしていたということです。この中でも最大の失敗は、A-STEPの事業だろうと思います。とある大学と産学連携で開発してきた技術なのですが、完成した頃には、技術的に競合するAFMの台頭に優位性を完全に失い、AFM関連マーケットを完全に失ってしまったのです。それにも関わらず、ともあれ技術は完成したんだからと成功のレッテルを貼られ、2億円を超える開発費が借金として丸ごと日本レーザー電子に降りかかったのです。これがなければ債務超過にはならなかったのではと思います。

そんな中、2002年末に、自分にとって大きな転機が訪れました。なんと、日本レーザー電子に入社して半年も経っていません(笑)。ひとつは鹿児島大理学部の隅田先生との出会いであり、もうひとつは産総研の平林先生との出会い、そして最後のひとつはモリテックスとの出会いでありました。隅田先生とは糖鎖アレイ、平林先生とはレクチンアレイ、そしてモリテックスは事業買収につながる案件でした。
激動の2003年が過ぎ去り、万策尽きて2004年春にはNLEは倒産することになるのですが、日本レーザー電子は、結局二つのグループに分裂して事業継承を進めることになりました。米田社長と自分らは、モリテックスのバイオテクノロジー関連技術の事業買収に乗っかり名古屋から横浜に転居することとなり、英克氏らは株式会社竹代の支援を得てナノテクノロジー関連と受託サービス関連を継承して名古屋に残るのです。後者が現在の受託解析サービスを主力事業とするフィルジェン㈱です。そして、日本レーザー電子で埋もれていた「SCAN III」が、糖鎖とレクチンという新世界でモリテックスから新たな装いと仕様変更を受け、国産独自技術「GSR1200」として花を開かせることになるのです。

会社が倒産して皆が散り散りばらばらになる悲哀は、例えようがないくらい辛いです。社長が社員の親睦会のためにと取ってあった20万円で、会社の屋上に皆が集合して、あわびや伊勢海老といった極上食材を肴にバーベキューをして別れを惜しんだあの日の思い出、これは消え去ることはありません。社長は飲みすぎて転んで頭から血を流しました(笑)。富士通を退職しての自分の再出発は、僅か1年半で再出発を余儀なくされたのです。

この続きは「GlycoStation誕生秘話(2)」にて・・・・、

LecChip(レクチンマイクロアレイ)のデータを用いてDeep Learningで糖鎖の構造や細胞種などを機械学習を行わせる時の環境構築とPython Script例

LecChip(レクチンマイクロアレイ)のデータを使用して、糖鎖の構造、細胞種などを判別させるためには、Deep Learningを使用して沢山のデータを機械学習させる方法が有効です。
これを行う為に必要な事前準備は、以下となります。
Python(以下ではAnaconda3を使用)
Tensorflow
Keras
先ずは、ご自身のパソコンにこれらをインストールして環境構築を行ってください。

このような事前準備の面倒臭さを省き、Deep Learningのネットワーク構成をマウスでのクリック動作だけで出来るようにしたのが弊社製品の「SA/DL Easy」になります。
SA/DL Easyを使うと、環境構築の必要もなく、以下のようなScriptも書かずに、Deep Learningの世界がたやすく使えるようになります。

下記を自身のパソコンで実行される場合には、PythonのScriptを保存したフォルダー内にpathが通っていること、保存した入力データのpath、学習結果とテスト結果が保存されているフォルダーのpathなどを間違えないように指定してください。

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# LecChipのデータを使って、例えば、糖鎖の構造や細胞種の判断を学習させるためのDeep Learning Python Script例

from __future__ import print_function
import numpy as np
import csv
import pandas
from keras.datasets import mnist
from keras.models import Sequential
from keras.layers.core import Dense, Dropout, Activation
from keras.optimizers import RMSprop
from keras.utils import np_utils
from make_tensorboard import make_tensorboard

np.random.seed(1671) # 再現性を良くするために

# ニューラルネットワークの構成と学習のさせ方
NB_EPOCH = 100 # 何回学習させるか、適当に決めてください
BATCH_SIZE = 2  # データセットを幾つかのサブセットに分ける
VERBOSE = 1
NB_CLASSES = 2 # 最終的な出力数
OPTIMIZER = RMSprop() # オプティマイザー
N_HIDDEN = 45  # 隠れ層のノード数、ここではLecChipのレクチン数に合わせて45としている
VALIDATION_SPLIT = 0.2 # 学習データの内、何割をテストデータとして使うか
DROPOUT = 0.3
LECTINS = 45

def drop(df):
return df[pandas.to_numeric(df.iloc[:, 2], errors=’coerce’).notnull()]

# データは最大値を1とするように規格化する
def normalize_column(d):
dmax = np.max(d)
dmin = np.min(d)
return (np.log10(d + 1.0) – np.log10(dmin + 1.0)) / \
(np.log10(dmax + 1.0) – np.log10(dmin + 1.0))

def normalize(data):
return np.apply_along_axis(normalize_column, 0, data)

# 入力するデータはCSVファイルの形式とする
df1 = drop(pandas.read_csv(r’c:\Users\Masao\Anaconda3\DL_scripts\cell.csv’)).reset_index(drop=True)
X_train = normalize(df1.iloc[:, 2:].astype(np.float64))
family_column = df1.iloc[:, 1]
family_list = sorted(list(set(family_column)))
Y_train = np.array([family_list.index(f) for f in family_column])

df2 = drop(pandas.read_csv(r’c:\Users\Masao\Anaconda3\DL_scripts\cell_test.csv’)).reset_index(drop=True)
X_test = normalize(df2.iloc[:, 2:].astype(np.float64))
familyt_column = df2.iloc[:, 1]
familyt_list = sorted(list(set(familyt_column)))
Y_test = np.array([familyt_list.index(f) for f in familyt_column])

print(X_train.shape[0], ‘train samples’)
print(X_test.shape[0], ‘test samples’)

# convert class vectors to binary class matrices
Y_train = np_utils.to_categorical(Y_train, NB_CLASSES)
Y_test = np_utils.to_categorical(Y_test, NB_CLASSES)

print(X_train)
print(Y_train)
print(X_test)
print(Y_test)

# ニューラルネットワークの具体的な構成例
# 隠れ層は2層
# 入力はLecChipのデータ(45レクチンを使用)
# 最終層はsoftmaxで活性化

model = Sequential()
model.add(Dense(N_HIDDEN, input_shape=(LECTINS,)))
model.add(Activation(‘relu’))
model.add(Dropout(DROPOUT))
model.add(Dense(N_HIDDEN))
model.add(Activation(‘relu’))
model.add(Dropout(DROPOUT))
model.add(Dense(NB_CLASSES))
model.add(Activation(‘softmax’))
model.summary()

# 学習とテスト結果状況をTensorboardに出力して可視化させる
callbacks = [make_tensorboard(set_dir_name=’Glycan_Profile’)]

model.compile(loss=’categorical_crossentropy’,
optimizer=OPTIMIZER,
metrics=[‘accuracy’])

model.fit(X_train, Y_train,
batch_size=BATCH_SIZE, epochs=NB_EPOCH,
callbacks=callbacks,
verbose=VERBOSE, validation_split=VALIDATION_SPLIT)

score = model.evaluate(X_test, Y_test, verbose=VERBOSE)
print(“\nTest score:”, score[0])
print(‘Test accuracy:’, score[1])

————————————————————————————
# Tensorboardを使うためのPython Script

# -*- coding: utf-8 -*-
from __future__ import absolute_import
from __future__ import unicode_literals
from time import gmtime, strftime
from keras.callbacks import TensorBoard
import os

def make_tensorboard(set_dir_name=”):
ymdt = strftime(“%a_%d_%b_%Y_%H_%M_%S”, gmtime())
directory_name = ymdt
log_dir = set_dir_name + ‘_’ + directory_name
os.mkdir(log_dir)
tensorboard = TensorBoard(log_dir=log_dir, write_graph=True, )
return tensorboard

————————————————————————————
Tensorboardを用いて可視化させるには、make_tensorboard.pyを走らせたうえで、
$ tensorboard –logdir=./Glycan_Profile_Mon_10_Feb_2025_23_06_26(./データが記録されているフォルダー)を走らせ
http://localhost:6006/にアクセスします。

(base) PS C:\Users\masao\Anaconda3\DL_Scripts> python make_tensorboard.py
Using TensorFlow backend.
(base) PS C:\Users\masao\Anaconda3\DL_Scripts> tensorboard –logdir=./Glycan_Profile_Mon_10_Feb_2025_23_06_26
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TensorBoard 2.0.2 at http://localhost:6006/ (Press CTRL+C to quit)

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LecChipのデータは、下記のようなCSV形式とします。
左端から、サンプル名、ファミリー名(教師データとなります)、各種レクチンの数値が並んでいます。

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学習が終わったら、モデルの保存をしておくべきでしょう。
モデルが保存してあれば復元もできますし、未知データを与えて予測させることが出来ます。
この辺りのScriptは別途書くことにします。

AIの進化ビジョン

OpenAIのサム・アルトマンが東京大学で「AIの進化ビジョン」について講演をしたという。
その中で述べていることを引用すると、次のようである。
「ある学生が「今後10年、30年、100年後の社会はどのように変化すると思いますか?」と問いかけると、アルトマンは「10年後にはAIが科学技術の進歩を加速させ、30年後には社会のあらゆる側面がAIと一体になって、ともに進化しているだろう」と即答した。100年後の未来については「現時点では想像もつかないが、人間の生活は今とはまったく異なるものになるだろう」とアルトマン氏は答える。」

AIの進歩が人類の生活に好影響を与えるのは確かだろう。しかし、それはAIがあくまでも人間のツールである段階にとどまるのではないだろうか?人が面倒くさいと思うことや、手間がかかることを他の人に代行を頼む状況とよく似ている。ここでいう他の人がAIに変わっただけのことである。面倒なことや手間がかかることを代行してもらうことで、自身はより生産性の高い仕事に専念できるようになる。AIの推論機能が高まってくれば、人が思いもしなかったような解決法が発見されるかもしれないし、それによって科学技術も加速進歩するだろう。

問題は100年後である。AIの能力が人を超えてしまうと、一般人が太刀打ちできないような天才に出会った時と同じように、恐らく知的に戦う気力を失ってしまうだろう。自分が考えたって勝てっこない、そういう劣等感が人のやる気を奪い、単にAIに生かされる動物にヒトがなってしまう可能性が多分にある。
人はその時代には生産活動から解放され、かつては収入の源泉であった知的活動も、戦っても勝てもしないAIを眼前にしてその対価さえ無価値に等しくなり、遊びふけるだけの存在になってしまっているのではないだろうか?

この時にぶつかるこの問題を克服するには、人も同様に進化してAIと同等以上の能力を獲得するしか方法がない。AIと脳が合体する時代の到来である。その時に、この生き物が人と呼べるのか?それすら確かではない。

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