GlycoStation誕生秘話(5)

GlycoStation誕生秘話(5)

世界でいち早くレクチンマイクロアレイの商業化を進めた事業体が実は二カ所あったのです。一つは日本、そしてもう一つはイスラエル。日本とイスラエルって繋がりがあるのかしら?日本のそれはモリテックスのグライコミクス研究所であり、イスラエルのそれはProcogniaでした。それぞれに商標を持っており、モリテックスが「GlycoStation」、そしてProcogniaが「GlycoScope」です。

特許紛争とモリテックスの内紛で万策尽きた自分は、「Procogniaとの和解しか道はない」と思い始めました。そして、2008年11月、グライコミクス研究所の代表者(山田と小川)、そしてProcogniaの代表者(Ron Long, Alon Natanson, 高畠末明)がロンドンに集結し、和解に向けての話し合いを行いました。本来ならモリテックスの代表者がProcogniaと議論すべきなのに、モリテックスはこのマターをグライコミクス研究所の問題として投げつけてしまっていたのです。モリテックスを買収したショットもグライコミクス研究所の事業を継承しないのですから、致し方ないです。「降りかかる火の粉は自分で払うしかありません。」

「こんな小さな糖鎖のマーケットで睨み合ってもしょうがない、二社で協力して事業開拓をしませんか?」自分はそう問いかけました。そして、議論の末、「二社が協力して新会社を日本に設立すること」で合意したのです。

ところで、高畠末明氏とは何者か?
詳しい経歴は自分も良く知らないのですが、東芝にて発電関連事業の営業として入社直後から海外を活動拠点として活躍し、東芝欧州営業拠点の社長を務めていたようです。しかし、40代で東芝を退職し、アマシャムの社外取締役らを経て、個人事業を行っていたようです(ロンドンに在った居酒屋あき(安芸)を経営、Lamerwood G&CCというゴルフ場もあったとか・・)。そしてその傍ら、Procognia会長(Ron Long氏)の協力者としてProcognia Japanの社長も務めていました。Procognia Japanと言っても、実際には彼はロンドン在住であり、Procognia Japanには、取締役の永富佐江子氏1名のみが東京在住だったようです。

Procogniaとの和解交渉が成立後、年が明けて、2009年2月、札幌を本社として「GPバイオサイエンス」が設立されました。設立当初の役員は、高畠、永富、そして山田の3名であり、役員2名がProcogniaからという形になってしまいました。この役員比率(Procognia=2 vs グライコミクス研=1)では、自分の意見を経営に生かすことが難しくなります。更に、高畠は、アマシャム時代の旧友を相談役や営業部長に引き連れてきました。益々、GPバイオサイエンスの意思決定は、高畠が思い通りに動かせる状態になっています。グライコミクス研は、自分以外は、新卒採用の若い技術者ばかりです。

そんな中、永富は高畠に対して「強い不信感」を持っていたこともあり、自分とタッグを組んで高畠に進言をしてくれたのは唯一の救いでした。と言っても、「永富の言うことを高畠は意に介さない」という残念さはあるのですが、ともあれ自分の味方です。その時のよしみから、監査役であった蛭田(信次)氏とともに、永富とは今でも連絡を取り合っています。


(ロンドンの居酒屋あきにて、左から小川、山田、そして高畠の3名)
(年がら年中敵対しているわけではなくて和やかな時もあります)

グライコミクス研究所の所員にとっては、モリテックスからGPバイオサイエンスに移籍するというのは大きな大きな掛だったろうと思います。
「せっかく東証一部の企業に入社できたのに、ベンチャーに行くわけ?」
「給料大丈夫なの?」
「つぶれないの?」
「外資系ってこと?」
「札幌に転勤するわけ?」
自分は、GlycoStationの技術を守り通すために、一生懸命説得を行いました。一緒にGlycoStationを開発する苦労を分かち合った仲間を失いたくはありませんでした。残念ですが金子と阿部はモリテックスに留まると決意し、GPバイオサイエンスに移籍したのは、齋藤、武石、小川、藤田、横田の5名となってしまいました。当面の資金は、北海道ベンチャーキャピタルが支援してくださることになりました。本社は札幌、そして事業所は横浜、グライコミクス研究所が在籍していたモリテックスの横浜テクニカルセンター内に我々の事務所と実験室がそのまま残りました。
日本の技術で糖鎖解析の世界スタンダードを目指す

このようにして、GPバイオサイエンスがともあれスタートしたものの、自分は、GPバイオサイエンスと産総研の成松先生や平林先生との間に「冷たい隙間風」が吹き込み始めていることを感じていました。
「Procogniaが産総研を敵に回してしまっていたこと」
「一部上場企業からベンチャーに移ってしまい、企業の存続性や資金力に疑問がついたこと」
また、新たな問題が吹き荒れそうな気配が忍び寄っていました。

この続きは「GlycoStation誕生秘話(6)」にて・・・・、
新たな競合の出現、高畠と山田の確執・・・・

Mx

糖鎖プロファイリング技術のパイオニア 環境再生型農業の実現

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