GPバイオサイエンスは、2012年7月31日に事業活動を停止し、最後まで残っていた全従業員を解雇しました。これを単に破産で済ませてしまえば、ご愛顧頂いているお客様に多大なご迷惑を掛けることになりますし、糖鎖プロファイラーもLecChipも何処かに事業移管されることもなく、製造ノウハウごとすべてが消え去ってしまいます。
GlycoStation事業を継続させるためには、なくてはならない最小限の人材をとにかく引き留める必要性がありました。山田を技術統括としてハード担当の坂下、それにウェット担当の横田、最低限この3人が居れば技術は継承していけると確信していました。自分は、小川と藤田にも是非とも残っていてもらいたかったのですが、高畠とはそりが合わず一足先にGPバイオサイエンスを退職してしまっていました。坂下と横田には雇用保険をもらってもらいながら、アルバイトで次の目途が立つまで業務支援してもらうという作戦を取りました。「何を持って目途が立つまでというか?これが示せなければ彼らの転職活動を止めることは出来ません。」自分は経営者サイドですから雇用保険に入っておらず、年金がもらえる歳にもなっていなかったので、収入がまったくなくなってしまっていました。
高畠が言いました「自分に任せてほしい、良い案がある、最後まで残ってくれた君たちには決して悪いようにはしない」。役員報酬は、半年ほど前からから支払われなくなっており、永富も既に出勤はしていませんでした。残っていた役員は、高畠と山田の二人です。何と因果な関係なのでしょう・・・。
「分かりました」そう答えました。
こうなっては高畠も自己破産は免れません。
「そこまでおっしゃるなら最後は好きにしてください、高畠さんに任せます」
こんなスキームでした。
新しい受け皿会社を年末までに用意します。
新会社が皆を雇用し、新会社はGPバイオサイエンスから業務委託を受けることで、雇用した従業員を養うに必要な最低限の利益を確保します。
GPバイオサイエンスは極限まで減らした固定費と必要な返済を支払えるだけの収入をこの業務委託から得ます。
GPバイオサイエンスがどうあがいても支払いが立ち行かなくなれば、裁判所に破産申請を行うしか残された方法はありません。
そして、新会社が破産管財人から事業を買い取ります。
こうやって立ち上がった新会社がグライコテクニカです。蓋を開けてみると、なんと高畠の奥様が社長に就任するという案でした。というのも奥様が持っていた休眠会社を起こしての名称変更が高畠の良い案だったのです。「そうきましたか・・・・・」。グライコテクニカの取締役には、高畠晴美氏を社長として、堤、そして山田が就任しました。堤氏は、高畠のアマシャム時代の旧友です。そして、高畠末明社長はGPバイオサイエンスの倒産とともに自己破産をしました。
従業員は、経理担当の廣瀬氏(女性)、技術者として坂下、横田の3名のみとなりました。廣瀬は、山田のモリテックス時代の旧友です。ずいぶんと小ぶりになりましたが、これで十分回せます。物には適正サイズというのがあります。許容されるマーケットサイズを超えて会社を大きくしたら立ち行かないのは目に見えています。簡単な理です。会社が「大きいから偉い」、「小さいからダメ」、そういう見方は間違いです。自然界ではいろいろな動物や植物や細菌が住み分けをしていて全体調和を作り上げています。其々に存在意味があり、其々に役割があるのです。人間社会も同じです。ようやく平穏な日々が訪れました。この平穏な日々は五年間ほど続きました、自己破産で自粛していた高畠が前面に堂々と出てくる前までのことです。表立って復帰した高畠の無謀な会社規模の拡大と見栄が、この後ふたたびこの会社を窮地に追い込んで行きました。「何故学習しないのだろう?」
(グライコテクニカの事務所と実験室の様子、ここに引っ越す前までは、事業所はモリテックスの横浜テクニカルセンター内にあり、本社はあざみ野にあるマンションの一室でした)
ともあれ、新しく発足したグライコテクニカの門出をFDAが後押ししてくれました。FDAからの商談は、GPバイオサイエンスの終期に受けていたのですが、対応できずに、この新会社で刈り取ることが出来ました。バイオ医薬品として急成長していたバイオシミラーの糖鎖解析法として、GlycoStation(GSR1200とLecChip)が評価されることになったのです。
「とうとうFDAがお客さんになった・・・・」
FDAへの納入に成功したGSR1200でしたが、先行きに真っ黒な暗雲が立ち込めてきました。というのも、使用していたEMCCDに使われている半導体チップ(TI製造)が製造中止になるというニュースが入って来たからです。ハードを長期間にわたって維持するのは非常に大変です。部品のディスコンは頻繁に起こりますし、それに合わせて同じ性能を持たすべく再設計が必要になるからです。主要部品がディスコンしたりするとハードそのものをディスコンにせざるを得ない場合も出てきます。主要部品のEMCCDがディスコン・・・・、最悪の事態です。インフォビが製造販売していた光絶縁入出力基板がディスコンした時も焦りました。しかしこの時は幸いにも回路図が基板についていたので、芙蓉電機の協力をえて、ディスコンした基板の作成が可能になりました。
この続きは「GlycoStation誕生秘話(9)」にて・・・・、
ひょっとしたらGlycoStationを続けられないかもしれない、そんな焦燥感が襲い掛かってきました・・・・