社長の精神的な辛さというのは、経験してみないとなかなかピンと来ないものです。「今のやりかたのままで会社大丈夫かな?」大問題が発生したりすると寝れない夜が続いたりもします。
ある時、廣瀬が自分に教えてくれました。「高畠さん、山田さんが会社に居てくれるだけで安心剤らしいです」「え?そんなこと言ってた?」と自分は答えました。廣瀬は、もともと自分のモリテックス時代の友であり、竜野部長の下で営業アシスタントをしていました。彼女がモリテックスを退職するときに「山田さん、将来縁があったら、声かけてね」と頼まれていました。退職後、彼女が自助努力で簿記の資格を取っていたらしいことも聞いていました。そこで、GPバイオサイエンスを起業したときに経理担当が居なかったので、廣瀬のことを思い出して、高畠に「経理ができるいい人が居るんだけど紹介させてくれませんか?」と廣瀬のことを頼んでみました。江田駅近くにあるコメダ珈琲店で高畠夫妻に廣瀬を紹介しました。高畠は一目見るなり気に入ったようで、その場で採用されました。高畠は、「廣瀬の美貌に惚れた」のだと思います。
そんな成り行きで、廣瀬はGPバイオサイエンスとグライコテクニカにおいて経理担当として高畠から絶大な信頼を得ていました。高畠が憔悴している時に、彼女にぽろっと「自分の弱音」を話たんだと思います。それが「山田さんが居てくれるだけで安心剤なんだよね」という言葉だったのでしょう。高畠と自分の根底には確執があるのは間違いないのですが、困ったときに、「ブレない山田」が居てくれることが高畠には救いだったのだと思います。
2018年は非常に忙しく大変な年でした。AMEDから「再生医療等製品(脂肪細胞医薬品)の糖鎖プロファイリングを用いた品質管理システムの構築」という委託研究をもらっていたし、GLIの買収劇がありましたし、高畠の無駄にデカいお誕生日会もありました。個人的にもこの夏には愛犬のふうを無くし、11月には父親が他界しました。
同年9月のことです、「山田さんと一緒に海外出張するのもこれが最後かもしれないし、スイスアルプスを一緒に旅行しないか?」唐突に高畠がそう言ってきました。チューリッヒの空港でおりて、レンタカーを借り、高畠が自身で運転してスイスのGrindelwaldへ連れて行ってくれました。途中、高畠が車のタイヤを縁石にこすってパンクさせるというトラブルが発生したのですが、ともあれその日の内に何とかGrindelwaldに着くことが出来ました。高畠は「東芝時代に、お客様の接待で、ここに何回もきたんだよね、ここを山田さんに見せてあげたかったんだよ」と言いました。この時ばかりは、「この一瞬だけは」、確執は融解していたかも知れません。
2020年の10月、自分はグライコテクニカを退職し、「Mx:エムック」という事業体を桑名という地に登記しました。グライコテクニカの最期が近づいてきていることを感じていました。しかし、完全にグライコテクニカと縁を切った訳ではありません、同社の顧問となっていました。
そして、高畠と最後のお別れの挨拶をしたのは、2021年9月3日、湯河原温泉でのことでした。グライコテクニカが倒産する約1年前のことです。「高畠さん、今度いつ会えるか分かりませんが、どうぞお元気でお過ごしください」と言って別れました。そして、残念ながら、二度と彼に会うチャンスは訪れませんでした。「高畠さんが亡くなった」というニュースを聞いたのです。


(2014年6月、高畠夫妻との真鶴での思い出バーベキュー、グライコテクニカが平穏だった時代の追憶から)