GlycoStation誕生秘話(2)

GlycoStation誕生秘話(2)

日本レーザー電子が倒産し、破産管財人からバイオテクノロジー関連事業を買収したモリテックスには、合計7名の社員が移籍しました。米田(元)社長は、モリテックスの顧問となりました。移籍したのは、技術陣は山田以下4名、営業は奥村以下2名です。移籍した場所は、モリテックスの横浜テクニカルセンター、そして最寄り駅は田園都市線の江田駅です。横浜テクニカルセンター(岩本センター長)には、横浜事業所(名倉所長)とナノ・バイオサイエンス研究所(所長は岩本センター長が兼務)、そしてシステム開発部(川田部長)がありました。
移籍した自分たちのミッションは、買収した日本レーザー電子のバイオテクノロジー関連事業をモリテックスという場に落とし込むことであり、このミッション遂行の為に、NLEプロジェクトというプロジェクト名が付けられました。自分は、モリテックスに赴任すると横浜テクニカルセンターの副センター長に任命されたのですが、主たる仕事としてNLEプロジェクトのリーダーに任命され、3ヶ月以内に事業移管を完了することと言う社長命を受けました。主な内容は、DNAチップ事業、SPR事業、そしてエリプソメーター事業の事業移管であります。NLEプロジェクトの中には、SCAN IIIという技術資産はあったものの、糖鎖プロファイラーはまだこの世に存在しておらず、具体的な移管の対象ではなかったのです。というのも、糖鎖プロファイラーは開発中の技術であり、NEDOの糖鎖構造解析技術開発プロジェクトの目玉のひとつだったのです。

DNAチップ事業のひとまずの目標は、日本レーザー電子が共同研究していた名大農学部との2,397遺伝子を搭載するシアノバクテリアcDNAマイクロアレイの完成でした。その為、日本レーザー電子を退職し東京医科歯科大の法医学教室に移籍していた島田氏の協力を取り付けて実行に移しました。後に、彼はモリテックスに転職することになります。東京医科歯科大の法医学教室教授からは、島田を横取りしたと随分なお叱りを受けました。SPR事業では、NanoSensor, SPR-670M, SPR-MACSという3機種をモリテックスから新製品として販売を開始し、エリプソメーターは、液晶配向制御用の検査機として日本レーザー電子から移籍した田ノ岡氏を主担当としてシステム開発部の協力を得ることになりました。日本レーザー電子では、横浜への転居に尻込みする従業員も多かったため、技術移管に協力してくれる技術者が不足し、モリテックスの皆様には大変ご迷惑をおかけしながらも、期限内に本ミッションを完遂することができました。

事ここに至って、「日本レーザー電子というベンチャー企業の最期をこの手で見取り、事業移管という形でその技術資産をモリテックスに残せた」という大役を果たせた脱力感が一気に自分に襲い掛かりました。当時、とある半導体系の事業会社から、2000万円の年収でヘッドハンティングを受けていたこともあり、小谷専務に恐る恐る「モリテックスを退職したい」旨を伝えました。当時の年収を思い出すほどに、現在に至るまで日本人の年収が如何に停滞していたか、憤りを感じます。小谷専務が「自分に全幅の信頼を置いていてくれていることを深く感じていた」ので、その時は本当にモリテックスに対して申し訳ない気持ちで一杯でした。しかし、小谷専務に「モリテックスの将来のバイオ関連事業を君に任せるつもりなんだ、今居なくなられると非常に困る」と強く説得され、折茂副社長にも接待付きで口説かれ、森田社長からもラブコールを受け、役員総出で遺留されたため、とうとう自分も折れてしまいました。見返りを手にしたことも自分を納得させる理由のひとつだったかもしれません。理事に昇格させてもらうことで経営陣に名を連ね、岩本取締役の後を継いでナノ・バイオサイエンス研究所長に就任し、そして何よりも大きいのは、日本レーザー電子時代に銀行からの借り入れに社長と共に連名で裏書をしていたことで発生した借金の返済をボーナスの上乗せで帳消しにしてもらったことです。社長は自己破産してしまったので、連名者の自分に負債が降って来てしまったという訳です。1000万円程度の負債で自己破産するなんてばかばかしいですし、かといって、返済するにはそこそこ痛い額な訳です。とにかく、そうと心が決まれば、モリテックスのバイオ関連事業の為に身を粉にして働くのみです。そして、これを持って半導体への未練はきっぱりと捨て去ることにしました。

NEDOの糖鎖構造解析技術開発プロジェクト(通称、SGプロジェクト)は、産総研・糖鎖工学研究センター長の地神先生、副センター長の成松先生をリーダーとし、2003年4月から3年間の予定でスタートしていました。このSGプロジェクトに自分達が参画できたのは、2002年暮れに産総研の平林先生が日本レーザー電子に来社されたことがきっかけです。当初は日本レーザー電子がSGプロジェクトのメンバー企業でした。自分とScan IIIの担当だった高島氏が日本レーザー電子からメンバーとして参加していました。自分達の直接的な共同研究者となったのは、産総研の平林先生のグループであり、久野先生や内山氏には本当にお世話になりました。2004年春には、日本レーザー電子が倒産してしまったこともあり、この事業をモリテックスが継承することとなります。糖鎖プロファイラーの主担当には、モリテックスから新たに堀尾氏が指名され、バイオ組合の槙野様のご協力を得て、三井化学に席を置く江部氏にモリテックスのメンバーとして産総研に出向してもらうになりました。本来なら、高島氏にモリテックスに移籍してもらってこの事業を継承してもらいたかったのですが、どうしても岐阜からは転居できないとのことで、止む無く堀尾氏に一肌脱いでもらうことになった訳です。糖鎖プロファイラーが完成出来たのは、ナノ・バイオサイエンス研究所単独の力ではなく、横浜事業所の面々の積極的な支援があったことを感謝せずにはいられません。

産総研での開発成果のモリテックスへの技術転移に際しては、日本レーザー電子から移設した設備だけでは足りず、2006年にはレクチンアレイ製造用として選定したMicrosys4000の購入や設置するクリーンルームの新設など総額3000万円を超える追加設備投資を稟議で行いました。SGプロジェクトが発足した当初は、糖鎖プロファイラーとレクチンアレイの開発に対する我々が割ける人的リソースは上記したように最低限でしたが、2005年に小川氏(Ph.D.)が新卒で合流、2006年には藤田氏と壷内氏(ともに女性)が新卒で合流、武石氏(Ph.D.)が中途採用で合流し、藤田氏(女性)と武石氏を技術移管の為に3か月の技術研修に産総研に派遣しました。2007年には、更に横田氏(女性)と金子氏(Ph.D.)が合流し、事業化に向けての陣容が出来上がって行きました。そして、2007年4月には、横浜テクニカルセンター内にグライコミクス研究所が新設され、山田を含め9名での船出となりました。内5名が博士号を持ち、所員の半数以上が全員新卒という若々しい力にあふれた研究所陣容でのスタートでした(山田、齋藤、金子、阿部、武石、小川、鶴山、藤田、横田の9名)。


(LecChip完成祝い、2007年6月28日:山田、武石、小川、藤田、横田)

山田は研究所長として総責任者、齋藤と金子は糖鎖プロファイラー担当、阿部はペプチド合成機担当、武石、小川、藤田、横田はウェット担当、鶴山はペプチド合成の担当でした。レクチンアレイの製造とその品質管理については、小川、藤田、横田の3名が主担当であり、武石は阪大医学部、岡山大医学部、北海道情報大らとのバイオマーカー探索らの共同研究が主担当でありました。武石は、過去に富士通における自分の部下だったのですが、かなり個性が強く、富士通研究所に在籍しながら阪大理学部でPh.D.を取得し、故あって富士通を退職後、モリテックスでバイオ事業をけん引していた山田を頼って合流してきたのです。小川は、多方面に渡って能力を発揮し、レクチンアレイの製造と品質管理のみならず、NEDO先導プロジェクトにおいて、比較糖鎖プロファイリング解析の基本ソフトであるGlycoStation ToolsProの開発も担当しました。産総研で開発をスタートした当初は、汎用のマイクロアレイ用解析ソフトArrayPro Analyzerでスポットの輝度を数値化し、内山氏が作成したエクセルのマクロを用いて比較糖鎖プロファイリング解析を行っていたのですが、ユーザーフレンドリーな解析環境を自前で作り上げたという訳です。齋藤は、NECからのモリテックスへの出向者であり、NEDOのSGプロジェクトの後継プロジェクトで、エンリッチメントデバイスの開発にも従事してもらいました。レクチンアレイと糖鎖プロファイラーの開発で最も苦労した点は、レクチンアレイの製造安定性の確保(スポット形状、飛び散り、バックグラウンドの斑)と品質保証(検品用のプローブの開発、出荷基準の策定、消費期限の確認)、そしてそれらのドキュメント化作業でした。2006年春から産総研からの技術移管作業を開始し、2年間はこれらの業務に忙殺されたと言っても過言ではありません。レクチンアレイと受託解析の立上げでは、「藤田と横田がいなくてはレクチンアレイの製造は困難」と思われるほど彼女らは力を発揮してくれました。特に藤田の残してくれた数多くの詳細なドキュメントは、その後の技術伝承でなくてはならない資産となりましたし、横田の正確な手技が無ければ、あれだけの品質を安定して出すことは出来なかったかもしれません。

この続きは「GlycoStation誕生秘話(3)」にて・・・・、
いよいよ糖鎖プロファイラー(GSR1200)とレクチンアレイ(LecChip)が上市され、営業活動が始まります。

Mx

糖鎖プロファイリング技術のパイオニア 環境再生型農業の実現

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